■B.I.G. JoeとDJ Tamaの出会いは
B.I.G. Joe : 千歳で元々ディスコのあった場所を、オレが「SOUL KITCHEN」って名前をつけてクラブにして週末だけ経営してたんだよ。
DJ Tama : その時って17歳~18歳だったけ?
B.I.G. Joe : ん~あんまり変わらないけど18歳~19歳位だったと思う。オレが「SOUL KITCHEN」での自分のパーティーの時にゲストでTamaを呼んだんだけど、Tamaがラッパーも一緒に連れて来たんたんだよ。え~~っと名前は何だったけ・・・あっヤスだ!
DJ Tama : ヤスは俺の高校の同級生でラッパーじゃなくてDJだよ。
B.I.G. Joe : あのときはラップもやってたじゃん。忘れたの?
DJ Tama : あー、CIRCUS(当時、六本木や横浜、札幌などに有った超有名クラブ)とかでやってたね。
B.I.G. Joe : そうそう、本当はTamaだけ呼ぼうとしたんだけど、DJのカリベとそのヤスも札幌から千歳に来てくれたんだ。オレはその頃ラップを千歳で始めたばかりだったから、他の地区のラッパーを見たことなくて、初めて見る他のラッパーのステージにあたるTamaとヤスはスチャダラパーのコピーでパフォーマンスをしたわけ。でもオレはオレのステージをやるしかない、みたいな感じで、オレはオリジナル曲をやったり、セイイチくんってダンサーと一緒にパフォーマンスもやって。で、終ってみれば、Tamaがオレに惚れたんだよ(笑)。
DJ Tama : ははは。確かにスゲー格好良かった。
B.I.G. Joe : まあ、そんな感じだったわけ。オレとTamaは同じ歳だったし、他の誰よりも本気でやろうとしている雰囲気が伝わって来てたし、それにスクラッチも上手いし、こいつとなら一緒に出来るなと思って始まったんだ!
■DJ、MCになるきっかけは何だったんですか?
DJ Tama : 元々ダンスをやっていたんだけどて、クラブで一番目立つのってやっぱりDJだから、そこからDJって格好良いなと思って始めたんだよ。
B.I.G. Joe : あの頃からTamaはイケイケのヒップホップのプレイの中にジャズとかも混ぜたりして、他には無い格好良さがあったんだ。そう言えば、O.N.O.ちゃん(Tha Blue Herb)とかの方がTamaよりもっとイケイケな曲をプレイしていたよね。オレがラップ始めたのは、千歳で16~17歳位の時に兄貴がレゲエのセレクターやってて、Papa-Bのライブを初めて観て、そこから刺激されてオレはヒップホップをやりたいなと思ってMCを始めたんだ。
DJ Tama : 今でこそDJはレゲエとヒップホップの両方ともプレイの中に入れるけど、ジョージ(B.I.G. Joe)は昔からレゲエとヒップホップを垣根なく捉えていたから、札幌のマンションの一室にあったロッカーズアイランドってレゲエのレコード屋にもよく一緒に行ってたよ。
■当時の二人の活動は
B.I.G. Joe : 兄貴がレゲエのセレクターやってたからレゲエのアーティストにも会えたりして、そういう環境もあったりしてRankin Taxiさんが司会をしていたローカルのTVの番組『Taxi A GoGo』の中で、まず全国の地方予選からスタートして各地区の優勝者が最後に東京での決勝に出るっていうMCコンテストがスタートする事になって、札幌予選が開催される事になったんだけど、最初に声がかかった人達は皆レゲエのDeejayばっかりという状況もあって、オレ達には話が回って来てなかったんだけど、どこからともなく半ば強制的な感じで「おい、B.I.G. Joe、オマエは必ず出ろよ」みたいになって出場したんだけど、北海道予選で勝っちゃったんですよ。ちなみにそのコンテストの曲のテーマがLove Song限定だったので、当時の彼女のこととか書いてた(笑)全国大会に出場していたMC、Deejayにはホント色々な人達がいたよ
DJ Tama : それこそイロコマネチさんとか
B.I.G. Joe : そうそう!イロコマネチもいたし、ママD、オカD、イナズマもいた。そう言えば、イナズマとオレらが予選で同時優勝したんだっけ。
DJ Tama : いや、レゲエのイナズマが特別賞みたいな感じだったよ。それこそ昨日会った(前日渋谷のクラブにてDJで入っていたDJ Tamaの現場にてB.I.G. JoeとKEN-1-RAWが遭遇)、DosmoccosのMCのKEN-1-RAWさんは九州の予選に出てたりして。
B.I.G. Joe : それで東京の全国大会に行く事になって、2人でグループの名前作ったんだよな。STRIVERZ RAW(ストライヴァーズ ロウ)。ジャズの曲でゆっくりこぎ続けるっていう内容の曲があるらしいんだけどそこから引用。
DJ Tama : それにニューヨークにもそういう場所があるんだって。でもLowをRawにしたりして。
B.I.G. Joe : 名前付けたのなんてその時くらいだな。そのまま東京の全国大会で優勝しちゃって、いろんな人が出てるんだけど、その時はEelmanとかもいたりして。
DJ Tama : でも『Taxi A GoGo』自体は東京では放送されなかったんだよね。地方でしかやってない、変わったコンセプトの番組だったんだ。それと、当時は海外アーティストもよく札幌に来ていて前座とかにも色々出ていた。Ice Cubeとか
B.I.G. Joe : あ、そうだね。そのとき前座で出たね。Gang Starrが来たときも前座で出た。
DJ Tama : Gang Starrのギグのアフターパーティーで、ジョージがフリースタイルしてたんだよ。そしたらね。Jeru The DamajaとかAfu-Raとかみんな入ってきて。
B.I.G. JOE : Guruなんて目の前にいて、超ノッていたから、負けじとフリースタイルやって、そしたらその後クラブの外で「Jazzmatazzのワールドワイド盤を作ってるからやんねーか?」って誘われたんだよ
DJ Tama : で、そこに元ShalamarのJeffrey Danielが札幌でラジオDJをやってて、Jeffreyが間に入ってコンタクトを取ってくれるってことになったんだけど・・・
B.I.G. Joe : でも、なんでダメになったんだろ。
DJ Tama : 連絡来なかったとかじゃなかった?
B.I.G. Joe : Guruに連絡したんだよ、オレ。でもその時、寝起きかなんかの機嫌が悪い時に電話したっぽくて、そこで終った(笑)。まあ今なら大丈夫だけどな。
DJ Tama : 話は戻るけどRankin Taxiさんの番組の全国大会の時に何日か東京に居たから、西麻布のZOAっていうクラブでBlack Mondayっていうイベントやっているのを聞きつけて行ってみたんだよね。そこでMCのフリースタイルを初めて観て。
B.I.G. Joe : 衝撃だったよ。
DJ Tama : そのBlack Mondayってイベントには、Rhymesterの宇多丸さんもいたし、You The Rock★さん、Twigyさん。
B.I.G. Joe : それにRino Latina IIさん、DJ Pat→504さん、Soul ScreamのEgg Mamさんもいた。
DJ Tama : きっとみんながマイク握れるっていったら集まってた時代だったんだ。そういう風景を見て、それに触発されたから、札幌に帰った週から自分たちのイベントでフリースタイル・タイムを作ったんだけど、最初はジョージしかいくて、それでも続けるうちに段々増えて来て。
B.I.G. Joe : ろくでもないヤツらにマイク渡して、やってみろ、みたいな(笑)。
DJ Tama : その後は、ジョージはRAPPAZ ROCKというグループで、Boss(Boss The MC)とかもいて。
B.I.G. Joe : その頃って、ラップやってるのはオレくらいしかいなくて。
■北海道におけるパイオニア的な存在ですね
DJ Tama : そういう意味では、アーティストとしてやり始めたのはオレらが第一世代になるかもね。
B.I.G. Joe : まちがいないね!
DJ Tama : DJの先輩や、バーやクラブなどのお店を経営してるとか、札幌のヒップホップシーンには色々な人がいて、その影響でオレらがいるけど、”アーティスト”っていう意味では最初にあたるのかも
B.I.G. Joe : みんなどうやって良いなか解んなかったんだと思うんだよね。
DJ Tama : あの時代はFRONT(ヒップホップ専門誌)読んでは悔しい思いをしていたよね。今でこそ全国のアーティストの日本語ラップをDJプレイでかけるけど、当時は「東京のラップ?知らないし」ってスタンスだったんだよね。唯一、個人的にEast EndなどのFG(Funky Grammaer Unit)のみなさんは付き合いがあったから別だったけど、でもそういう時代たったよね。だから、Tha Blue Herbも最初はああいう打ち出し方だったと思うんだ。
B.I.G. Joe : そうそう、だからあれは必然だったんだと思うよ。オレらは遠いところにいるから、本物志向の人間が多いんだよ。食べ物にしてもそうでしょ。だから、「オレらでも出来るのに!何でそっちばっか注目されてー」って感じだったんだよ。でも、そこからFM NORTH WAVE(札幌のラジオ局)でStreet Flavaっていう、かなり本物志向のヒップホップとR&Bのラジオ番組が出来たり
DJ Tama : FM NORTH WAVEは、開局の試験放送のときにFunkmaster Flexのミックスを買い取ってずっと流してたりしたんですよ
B.I.G. Joe : 東京とかはチャンネルはたくさんあるし、番組でもみんなずっと喋ってばかりだけど、FM NORTH WAVEはミュージックにしっかり焦点を当てていたよ。
DJ Tama : それが未だに続いているしね。
B.I.G. Joe : そういう環境にオレらがいるから、おのずと手持ちもプロ思考になってくるし。
DJ Tama : それに1990年代にはDJ SeijiさんがFM NORTH WAVEのStreet Flavaという番組でDJやっていて、札幌に限らず北海道出身でアーティストをやっている人達はみんな中・高校生の時に、そのラジオ番組でヒップホップを知って今の活動に至るんだ。だからどんなに現在のアウトプットの仕方やスタイルが違ったとしても、北海道で育った奴は、DJ Seijiさんの影響は少なからず受けてる。
B.I.G. Joe : オレはその辺から悪い方向へ行っちゃったんだよね。ヒップホップ=悪、だろ?みたいな?そういう時間を過ごさなきゃいけないのかな、みたいに自分の中で変に意固地になっているところがあって。Tanaはいつも真っ直ぐにヒップホップに集中していたけど、オレはたまに逆から見たり、端から見てみたりする期間があって、、、今は、ようやく聴いてくれている人のためにも真っ正面から見ることを悟ったっていうか。。。まあ、だから今があるんだけどね。
■DJ Tamaさん視点から見て現行のシーンはどうですか?
DJ Tama : パッケージは売れないとか言われているけど、相対的にクラブに行ったり、ライブに足を運んだり、アーティストのTシャツを買ったりと包括的にみたら音楽関連に使うお金ってそんなに変わってないと思うんだよね。CDにはお金使わなくなったけど、昔よりライブに足を運ぶようになったし、そういう風には感じてる。
■DJはオーディエンスと1番近くで接するじゃないですか。そのときに感じる変化とかってあります?
DJ Tama : バカ騒ぎする人が増えて来たかな。フェスとか行くと、ジャンル関係無く楽しんでいる人も増えているわけで、その辺の垣根は無くなってきたよね。
B.I.G. Joe : 確かに。初めの頃のヒップホップって、ダンサーかそういう格好をした人限定だったけど、今は普通の人でもヒップホップの現場にいるし、聴くし、そういう意味では楽しみ方が広がったと思うね。
DJ Tama : 極端な例だけど以前はmixiのプロフィールとかで好きなアーティスト欄にOrange RangeとB.I.G. Joeを並べて書いてる18歳の女の子とかいたし(笑)。そういうのが普通になってきてるよね。
B.I.G. Joe : それに、ヒップホップのアーティストがこういうインタビューを受けることも少なかったし、マネージャーやブッキングしてくれる人たち、デザイナー……とか、裏で支えてくれる人たちも増えたよね。だからよりシーンが広がって来てると思うんだよね。当時いなかったもんな。
DJ Tama : 東京に比べると専門的にやる人が少ないけど、札幌もある程度土台が出来てきたから、そういう意味での広がりは出来てきたんだと思う。オレからジョージに聞くのは初めてなんだけど、実際、帰って来てからどうだった?「変わったなー」とか思った?まあ、マイク・ジャック(Mic Jack Production)のメンバーから色々話は聞いてたと思うけど。
B.I.G. JOE : そうだねー。ビックリしたってことは無かったかもな。
B.I.G. Joe & DJ Tama a.k.a. SPC Finest (2/2)へ続く
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Interview & Text by sassyism